第90回:異国の丘に触れて(2001/1/27)


1/23に再度劇団四季の『異国の丘』を観に行ってきました。
1/19に観たばっかりですから、かなりのペースですね(笑)
本当は当日発売したサントラを移動時間を利用して買いに行っただけだったのですが、
電車の中でサントラ聴いてたら観たくなってしまい、結局観に行きました。
一つ一つの台詞、役者の表情、舞台演出など、もっと堪能したかったんですよ。
サントラだと飽くまで楽曲がある部分だけの収録ですからね。

また、東京公演が2/10で終わってしまうのもあったんで。
多分観ておかないと後悔しましたから。

で、私を1週間で2回も足を運ばせた『異国の丘』とはどんなものなのか、簡単に紹介致します。
あ、見に行きたいけど行ってないという人にはネタバレになりますので御注意を!
ちなみに、この作品は史実に基づいたフィクションです。

 

九重秀隆、

彼は日中戦争の最中で日本と中国の和平工作に全てを捧げた、時の首相九重菊麿の御曹司です。
結局、和平工作は失敗に終わり懲罰召集で満州に配属、
敗戦直前に侵攻してきたソ連に捕らえられ、シベリアに抑留されてしまいます。

実は、この和平工作失敗の陰には悲しい愛の物語がありました。

文隆の恋の相手は宋愛玲。
ジュリアード音楽院に留学中の中国人です。
そして、彼女は中国の高官宋子明の娘でした。

2人はアメリカで出会いました。
とあるパーティーで偶然ダンスパートナーとなったことが切っ掛けです。
そもそも、この出会い自体が日中の友好関係を望む
アメリカ諜報部員によって仕組まれたものだったのですが、
それに気が付くこともなく運命に導かれたかのように御互い恋に落ちました。

しかし、秀隆は首相の御曹司、愛玲は中国の高官令嬢。
日中戦争により両国の関係が悪化していた時の出会いであり、
愛玲は『国を愛する心』と『人を愛する心』の狭間で苦しみました。

日本軍の上海への攻撃を機に、一度は別れる事になる2人。
(愛玲は祖母が戦争に巻き込まれ重傷を負ったため、秀隆は父からの帰国命令のため)
帰国した秀隆は戦争が泥沼化したことを危惧し、
父・九重菊麿の同意の上で日中両国の和平工作に走ることになります。
その両国の和平実現の為、秀隆は上海に単身乗り込みました。
勿論、愛玲の力を借りる為です。

上海に来ていた知人の助力で愛玲との再会を果たす秀隆。
この時、和平実現の為に協力し合うことを誓い合い、そして、愛玲に求婚します。
『和平が実現したら返事を聞く』、そう約束をして・・・。

秀隆・愛玲は菊麿・蒋介石双方の親書による和平工作を開始しました。
そして、蒋介石の親書を得ることに成功、愛玲は親書を渡す為に秀隆の元へ向かいます。
しかし、この和平を望まない劉玄という人間がいました。
彼は愛玲の友人で、父親を日本人に殺されているために
反日感情が非常に強い男でもあったのです。
劉玄は、同じく和平を望まない日本の憲兵隊と手を組みました。
そして、恋人である李花蓮まで巻き込んで愛玲に嘘の待ち合わせ場所を教え、
そこにやってきた愛玲から親書を奪おうとしました。
異変を感じた秀隆と李花蓮は、愛玲を追います。

しかし、愛玲は劉玄に銃撃され、愛する男の腕の中で命を落とします。
(同時に劉玄も恋人(多分。そう見えたんだけど自信ない)に銃撃されました。)
また、命を懸けて秀隆に渡した親書も、劉玄と組んだ憲兵隊の手によって奪われてしまうのです。

結局、懲罰召集〜敗戦を経てシベリアに抑留される事11年。
その間、唯一汚されていない自分の「心」を貫き通しながら、
苛酷な強制労働と尋問に耐え続けました。
それは日本人としての誇りと、命を懸けて国を救おうとした愛玲への想いから成るものでした。
その強い心が『秀隆をソ連の協力者にしよう』とするソ連側の工作にも屈しさせなかったのです。

そして、いよいよ日本に帰れるというその日に秀隆は命を落としました。
そう、生きて祖国の土を踏む事は出来なかったのです。


<秀隆・愛玲以外の主要人物紹介>

・神田・・秀隆の友人。秀隆とはアメリカ留学時に出会い、後のシベリア抑留で偶然一緒になる。
     明らかに戦略ミスで負けたにも関わらず、事実を揉み消し、
     何事もなかったように振舞った日本軍上層部の対応に憤りを感じていた。
     その憤りが「あんな奴等の為に命を落とすわけにはいかない。必ず生きて日本に帰ってやる」
     という強い信念になっている。
     そう、それが秀隆をソ連の協力者にさせるよう仕向けるという手段だったとしても・・・。

・劉玄・・愛玲の友人。日本人に父親を殺されており、日本人に対する反感が強い。
     一度は秀隆殺害を試みるものの失敗、ただし秀隆には解放される。
     秀隆に解放された際に投げられた「この戦争はどうすれば終わる?」という質問に対し、
     徹底的に戦うという答えを『親書を渡すのを阻止する』といった行動で表した。
     志し半ばで命を落としたが、実質劉玄の行動が結果を伴う事になった。
     日本のその後を、彼は天国からどのような目で見ていたのだろうか・・・。

・花蓮・・劉玄の恋人。
     盧溝橋事件を切っ掛けに日本人に対して強い反感を覚えるが、
     アメリカで秀隆殺害に失敗した劉玄を解放してやった秀隆に心を開くようになる。
     その後は日中平和の為に助力を尽くすが、
     最後の最後で劉玄の裏切りを見破れず、愛玲を殺す結果になってしまう。
     しかし、恋人を信じたその気持ちを責めることはできないだろう。
     ※設定的には生き残っている筈なので、その後の花蓮は気になるところである。

 

簡単ですが、内容はこんな感じです。

率直に言いまして、感動しました。
御恥かしい話ですが涙ボロボロです。
具体的に挙げれば、夫々が持つ「自分の思想・信念・理念を貫き通す姿」に感動しました。
例えそれが死を招く結果になろうとも、
男女問わず迷い無く自分の信念を貫く姿には心を打たれました。
秀隆が頑なにソ連の協力者になることを拒んだ事、
神田(秀隆の友達)がどんな手を使っても日本に帰ろうとした事。
日本人を恨み続けた劉玄、恋人を信じた花蓮、敵国日本の男を愛した愛玲。
それら全てが私の涙を誘発しました。
ちなみに、この神田という男は最後に自害するのですが、
(九重が死んだらソ連が知り過ぎた自分を日本へ生きて帰す筈がない!という感じで)
その時の姿がメチャメチャカッコイイです。
神田に限らず、一つ一つの台詞がいちいちカッコイイんですよ。
もう、全台詞覚えたいくらい。

あと、音楽が素晴らしいです。
楽曲そのものも良いのですが、生演奏の重厚な響きが何とも言えません。
そりゃ発売日当日にCDを買いに行ったくらいですから。
(しかも仕事の移動中)

また、ミュージカル全般において言える事だと思いますが、役者さんに惚れます。
それが悪役だろうが何だろうが、その気持ちが演技から伝わってくるんです。
ちなみに、主要4人のキャスティングは以下の通り。

 九重秀隆:石丸幹二
  宋愛玲:保坂知寿
  李花蓮:濱田めぐみ ※ダブルキャスト(私が観に行った時の役者さんを書いてます)
   劉玄:栗原英雄

劇団四季2枚看板がキャスティングされています。
石丸幹二さんはネスカフェの「違いの分る男」に出ていましたし、
(私の将来の夢(=違いの分る男のCMに出る)を先に叶えた尊敬すべき人)
ディズニー映画「ノートルダムの鐘」の日本語吹き替えを
石丸幹二さんと保坂知寿さんがやってましたので、御存知の方は御存知だと思います。
当然と言えば当然ですが、皆さん歌も演技も上手くあっという間に魅き込まれます。
そして、その当然は辛い練習を乗り越えての賜だと思うと、心から尊敬します。

というか、石丸幹二さんカッコ良すぎ。
それよりも私的には栗原英雄さんカッコ良すぎ。
栗原さんの出る作品は今後要チェックですわ。

しかし、世間の評価は賛否両論らしいです。
ミュージカル用語で『ストレート系』という部類に近いようで、
『ミュージカル』よりは『劇』に近いことがあまり受け入れられてなかったりするようです。
要は『ミュージカル』を期待して観ると拍子抜けしてしまう、と。
確かに、ライオンキングに比べると『劇』の要素が強かったなあと感じますが、
それでも異国の丘にも『ミュージカル』としての見所は沢山あったと思います。
愛玲が秀隆に会いに行こうとする時の愛玲・花蓮の掛け合いや、
親書を秀隆に届けようと愛玲が上海に戻る時の愛玲・秀隆・花蓮・劉玄4人の掛け合い、
夫々の船上で秀隆と愛玲が御互いを想う気持ちを歌うシーンなど、
私的には全てが素晴らしいの一言に尽きるのですが。
うーん、あれで満足してはいけないんですかねえ。
所詮、ミュージカル初心者なので偉そうな事は言えないかもしれません。
ただ、連れに聞いたら「ハムレットに比べれば全然ミュージカルだったよ」と言ってたので、
素直に満足しておく事にします。

また、テーマがイマイチ分らないという反応も多いようです。
ストーリー的には深いテーマを抱えている作品だとは分るものの、
内容が恋愛物なのか戦争物なのかはっきりしない所があり、
結果的に内容の薄い作品に成り下がってしまった、ということらしいです。
確かにストーリーの深さを消化しきれていないと思います。
そりゃ大きなテーマを限られた2時間という枠で構築しなければいけないのですからね。
ただ、ストーリーがどうだった、演出がどうだった、音楽がどうだった、それも勿論大切な事ですが、
あれは「我々がこの作品を観て何を思ったか・考えたか」が大事なのだと思います。
話自体、勧善懲悪という要素は皆無なんですよ。
その時の時代背景・思想・理念などが複雑に絡み合っているため、誰が悪いとは言えないんです。
劉玄の裏切り行為でさえ、私には責められません。
寧ろ悲惨な戦争犠牲者だと思います。
祖国に準じる、平和を望む、徹底的に戦う、その一つ一つを善悪の天秤にかけることが出来ない、
戦争とはそういう事態を生み、そして悲惨な結果を齎すもの、
それを異国の丘という作品の中で感じて欲しかった、それがこの作品の意図なのではないでしょうか。

結果的に「戦争はダメだよ」ではなく「戦争は愚かなこと」というのを、
あの2時間の中で夫々が感じて欲しかったのだと思います。
戦争経験者、戦争未経験者、更にはシベリア抑留経験者など、観る人は様々な訳です。
極端な例ですが、戦争信仰者の御方がこの作品を観る可能性だってあります。
作品の中の誰が正しいのかは個人個人の価値観や思想・理念に御任せするけど、
根本にある「全ての者が戦争犠牲者なんだ」という事は忘れないで欲しい、
そしてそこから、戦争は愚かなことだと感じて欲しいのだと思います。

心の底から「観て良かった」と思った作品でした。
こんな素晴らしい作品を私に出合わせてくれた劇団四季の皆さんと、
劇団四季の世界へ誘ってくれたうちの連れに感謝しております。
次は名古屋公演なので、そちらにいらっしゃる御方は是非触れてみてください。
あ、ちなみに2/5にまた行くことになりました(笑)
劉玄を花蓮が撃ったか秀隆が撃ったか確かめる最後のチャンスなのでしっかり観てきます。

※2/5に上記の件に関して調べてきました。オペラグラスを借りてまでして。
 間違いなく花蓮が銃を持っていたのを確認できました。
 そして、撃っていました。
 でも、ふと立ち寄ったサイトでは「劉玄の銃が暴発」とありまして、結局自信のない私。
 う〜ん、謎が謎を呼び、次回へ。
 えっ?次回があるのかって?
 4/21の名古屋公演千秋楽を無事取れましたので、その時に。
 というか、もうダメですね、私。完全に虜です(笑)
 

では、最後に私的解釈の結末を。

秀隆に抱かれながら、愛玲は最期に
「生きていて、ボチさんのお嫁さんになりたかった・・・」と気持ちを伝えます。
これは、和平を信じて逝った愛玲が、
『和平が実現したら返事を聞く』という秀隆との約束に応えたものだと思います。

そして、カーテンコールの時に他の役者さんが秀隆の為に愛玲の元に通じる道を作ります。
秀隆はその道を通り、愛玲と並ぶ形になるのです。
その演出が、天国で2人を取り巻いた全ての人々に祝福されながらようやく結ばれた、
そんな風に見え、涙を抑えることができませんでした。

『二人の願い
  空の彼方で
   いつかはきっと
       結ばれる』

これは、「別れ」という愛玲が絶命するシーンで歌われるフレーズです。

その願い、叶ったんですね・・・。