第97回:続・涙で押せないシャッター(2002/4/7)


既にプロ野球が開幕し、阪神の快進撃に日本中が沸きあがっている最中、
こんな随分前の話をするのも時代遅れな感じがするのですが、
私の一生の想い出になったことなので書かせていただきます。
もっとタイムリーな時期に書けば良かったんですけど時間が無くて・・・申し訳無い。

3月23日、私はナゴヤドームにいました。
この日のナゴヤドームはプロ野球オープン戦「中日VSオリックス」の開催日。
勿論、オリックスの新外国人セギノールとシェルドンを観に行ってきた・・・
という理由も若干ながらありますが、
真の目的は今中慎二投手の引退セレモニーを見届けるため。
これを見届けないと一生後悔すると思い、名古屋まで足を運んだのでした。

私のサイトのコアなユーザさんであれば、
『今中慎二』という名前は何処かしらで目にしていると思います。
昨年、30歳の若さにして中日ドラゴンズのユニフォームを脱ぐ事になった、
中日ドラゴンズの、いや、90年代を代表するプロ野球界のエースだった方です。
(ちなみに私、90年代のエースは右が斎藤雅樹で左が今中慎二だと思っています。
 奇しくも、週間ベースボールの統計でも同じ結果が出ていました。)
管理者プロフィールの「影響を受けた人物」欄にもその名前があります。
今中選手がいなかったら私の野球人生は平凡なまま終わってしまった、
そのくらい私にとって特別な選手です。

まあ、そんな訳でこの日はナゴヤドームまで赴いたのですが、
今回に限っては絶対に泣くまいと思っていました。
涙で視界が滲んでしまったら、今中選手の最後の勇姿を目に焼き付けられなくなってしまうから。
でも・・・やっぱりダメでした。
花束贈呈までは頑張ったんですけど、
試合前に打者一人だけを相手にするというセレモニーが用意されていまして、
その時に最後のマウンドに向かう背番号14の背中を見たら、
涙を堪える事ができませんでした。


マウンドへ向かう背番号14

その後は、1球投げるたびに涙が溢れてきました。
このままずっと投げ続けて欲しい、と思いました。
その姿を少しでもこの目に焼き付けようとしましたが、
涙に遮られてなかなか上手く見れませんでした。
その姿を少しでも写真に収めようとシャッターを押しましたが、
涙で滲んで上手く押せませんでした。
(後で見たらボケた写真が何枚かありました。)


渾身のストレートを投げ込む今中投手

投げ終わり、この日の先発である山本昌投手に交代しました。
今中投手から山本昌投手へ・・・、
今中選手が最後にマウンドを託したのが、
90年の中日ドラゴンズを支えたもう一人の左腕だったこと、
何か一つの終焉を感じさせるようなシチュエーションでした。


今中投手から山本昌投手へ
一つの時代が終わった・・・


なお、投球数は4球、球種は全てストレート、MAXは110km/h、結果は三振でした。
(こういう時は三振してくれるんですけど、それは言わないでください。御願いします。)

ありがとう、今中慎二投手!!
貴方の背負う14番とはこれでお別れです。
ですが、私の中では永遠の14番であり、そして永遠のエースです。

今後の御活躍、期待しています。